1948-01-27 第2回国会 衆議院 外務委員会 第2号
殊にその一省が戰爭中は陸海両省とともに、戰爭遂行の責任を相当國民に対して負うておるわけです。そういつた因縁のある一省が独占すべきじやない、國民の総意を結集して、新しい日本の再出発を規定するところの平和條約の参加に向うべきであろうという見地から、終戰連絡事務局は総理廳に移すべきであるという議論をし、政府の提案を大体妥当であるということを私は信ずる次第であります。
殊にその一省が戰爭中は陸海両省とともに、戰爭遂行の責任を相当國民に対して負うておるわけです。そういつた因縁のある一省が独占すべきじやない、國民の総意を結集して、新しい日本の再出発を規定するところの平和條約の参加に向うべきであろうという見地から、終戰連絡事務局は総理廳に移すべきであるという議論をし、政府の提案を大体妥当であるということを私は信ずる次第であります。
つまり戰爭中外務省というものは、いわゆる陸海外というこの三者が一体となつて外交政策をやつてきた、殊に和戰の権利を大体陸海と一緒になつて決定してきた、そういう意味からいくと、この陸海両省と同じような責任をやはり外務省は負わなくちやいかぬ。しかるに現実の外務省を見ると、相当南方侵略政策やあるいは支那に対する侵略政策を実際企画案した連中が、いまだ相当外務省には残つている。